商品名
<説明>
・表具 | 紙本 |
・軸先 | プラスチック |
合箱
中原芳煙(なかはらほううん、明治8年(1875年)~大正4年(1915年))
島根が生んだ早世の天才画家。中原芳煙は明治8年6月24日、邑智郡都賀行村(現・大和村潮)で鉄山を経営した旧家中村家の次男として生まれた。名を佐次郎、画号を芳煙という。芳煙は川本高等小学校卒業後、浜田中学に学び、明治29年東京美術学校に進み川端玉章に師事した。在学中に天稟の資性は次第に頭角を現わし、本科2学年の時、美術学校生徒成績品展覧会に出品した「秋野鹿図」は一等褒状を受賞した。四条派風な花鳥・山水・動物を得意とし、師の玉章は芳煙はの画風を、常に推賞して惜しまなかったといわれる。明治34年日本画科を首席で卒業し国内を遊歴し名勝旧跡を探り画業に専念した。明治37年宮内省に奉職し、正倉院御物の整理を担当した。明治38年から明治43年まで審美書院に在って、古今の名画を鑑賞する機会に恵まれ、諸派の技法を修得し、芳煙の画技は大いに進んだ。この間、明治35年第12回絵画供進会に「月下孤鹿」が一等に、明治36年第5回内国勧業博覧会に「月下三鹿図」、明治37年第7回日本画会絵画展覧会に「月下双鹿図」、明治39年審美会に「猪図」、同年第5回美術研精会展覧会に「社暁」、明治43年巽画会第10回展に「冬暁」と連年褒賞を受けている。明治43年頃には、帝国絵画協会、巽画会、美術研精会に所属し、着々と新進画家としての基礎を築いていったようである。この頃郷里に帰省して近親縁者のために画家を振い、明治39年の落款のある「双鹿・虎図」の屏風一双「松樹図・秋草図」襖7枚が都賀行村に残されている。芳煙の山水は清楚で気品があるものが多くそれは時代の新しい流れを充分に吸収したものでもある。特に遠近の木立には芳煙の詩情が漂って空気の存在さえ感じられる力作がある。また、動物を描くことも多く中でも芳煙の鹿を取入れた作に佳品が多い。大正3年、病を得って帰郷し静養に勤めたが翌大正4年6月20日不帰の客となった。その年7月、有志相集いて、東京築地東本願寺別院で追悼法会と遺作展を行ない、眉目秀麗、性質温雅、身を持すること恭謙にして人に接するに懇切であり、その大成をまたれた作家の41才の生涯を偲んだ。
商品サイズ |
作品
縦(cm)134.8 、横(cm)32.5 表具 縦(cm)195.0 、横(cm)43.5 、横(軸先含む)(cm)48.7 |
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備考 | この商品は、ご成約済みです。 |
カテゴリ | ご成約済み 、 取扱美術品 、 書画 、 画 |