商品名
<説明>
・表具 | 紙本 |
・軸先 | 木 |
杉箱。
香来知有蘭
貫名菘翁(1778~1863)
江戸時代の儒者、書画家。本姓は吉井、名は直知または苞。字は子善または君茂。林屋、海屋、海叟、海客、菘翁などと号した。阿波徳島藩士の家に生まれる。大坂に出て儒学を中井竹山に学び、のち京都で須静塾を開いた。書名は高く、晋・唐の法帖を臨模し、また平安期の名跡を学んで古雅秀麗な書風をつくり、幕末を代表する能書の一人となった。また少年時代から画を好み、はじめ狩野派を学んだが、のちに長崎に遊学し、鉄翁について南画を修得。
山本醒軒(1853~1920)
書家。出雲国知井宮(現島根県出雲市知井宮町)の素封家山本家に生まれ、名は堅助。幼いころより秀才で学問や習字に励んだ。近代書道の大家貫名海屋(晩年菘翁)は1845年(弘化2)と1853年に出雲に来遊しているが、再遊の時には山本家に滞在して多くの書画の作品を残している。その中には五柳先生伝という行書の習字手本もある。これは大正ごろ井原雲涯によって東京で出版され、今でも書家の間で有名な手本になっている。醒軒は奇しくもこの年、しかも海屋が山本家に滞在中に生まれている。長ずるに及んで非常に書を好み、家蔵の海屋の書を一心に習い青年時代すでに地方では並ぶ者のない書家となった。今の出雲市塩冶に漢学塾を開いていた伊藤宜堂という儒者について漢詩漢文ならびに南画を学び、専門書家としての地歩はいよいよ確立した。1896年(明治29)当時最高の大家日下部鳴鶴が出雲に来遊した際、井原雲涯とともに入門して現代書の研究に入り、隷書もよくするようになったが、海屋流の基調は崩さなかった。こうして地方最高の書家兼文人として世人から慕われていたが、1920年1月69歳で没した。
竹田霞村(1884~1955)
出雲市下横町に生れ、東京美術学校に入り、川端玉章、下村観山に師事し、大正6年に帰郷、郷里において琳派の研究を中心とした画風で精進をつづけ、独自の境地で画風を開拓し、孤高の画家として、花鳥山水の作品を多く残した。
商品サイズ |
作品
縦(cm)130.5 、横(cm)29.4 表具 縦(cm)194.0 、横(cm)42.0 、横(軸先含む)(cm)48.5 |
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備考 | この商品は、ご成約済みです。 |
カテゴリ | ご成約済み 、 取扱美術品 、 書 、 書画 |