商品名
<説明>
黒柿銘木硯蓋。
清滝石は京都市右京区愛宕山にて産出する硯石です。清滝硯の作硯家、山本修造(吉勇)氏の「嵯峨文化と嵯峨硯」(昭和52年)には、
平安期の情況を「谷鉄臣」(1822~1905)は「我国ノ硯ノ起源ハ人皇五十二代嵯峨天皇 御字空海上人愛宕山ノ霊石ヲ以テ製硯セラレタトシルサレテイマス」と、鎌倉期には藤原為家の歌「人心これや浮世のさか石の筆と墨とも盡きはてつつ」(これは藤原氏清滝石を使ったと考えられる)、又「谷」は「日本の硯石が中国二渡ツタ記録トシテ清滝硯が最古ノモノトサレテイマス」。室町期には「九霊山房集」(1370)に清滝硯が出ている。硯師の職業化が「七十一番職人歌合」(1500)にこれ又出ている。
江戸初期より中期までを氏は、この地の豪商文人の角倉了以の文化芸術集落を存立したことによりあえて角倉文化と呼んでいるようで、その角倉文化期に「人倫家図案」(1690)に嵯峨石、高雄石の名をみる。この期に各種の民芸品の開拓を盛んにしてその中に嵯峨硯も見られる。江戸中期以降を庶民文化と呼び「隅山」なる人物の硯師の名も見え、またその娘は「石原」へ嫁ぎ、その石原お古文書を見た「谷」は嵯峨天皇に清滝硯ヲ献上シタルト記ルサレテイル」。また「長州赤間、甲州雨畑等産出スルモ清滝石最優良トス其ノ質監密ニシテ且ツ発墨濃艶ノ特徴ニ至リテハ支那端渓硯石及剣州石ヲ凌駕スルノ銘石ナルヲ以テ清滝硯石名宇内ニ冠タリト記サレテイマス」この頃より実用的要素の硯は勿論ですが硯の多用化に発表されたものに「人形硯がある」
と記されています。
愛宕神社、法輪寺参詣客のお土産品として人形硯と呼ばれるものがあり、日本ではここにしかない表現の硯で実用硯より先、昭和10年頃には廃絶し、今は数少ない貴重な硯です。
硯蓋には、「木の宝石」と称される稀少材の黒柿銘木を使用しています。
商品サイズ |
硯
縦(cm)8.5 、横(cm)5.3 、厚さ(cm)1.2 、重量(g)60 |
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備考 | この商品は、ご成約済みです。 |
カテゴリ | ご成約済み 、 その他 、 取扱美術品 、 硯 |