唐硯の歴史
年 | 王朝 | 出来事(唐硯) | |
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紀元前 | 206 〜 | 前漢 | 平板で磨石を伴った硯を使用 |
紀元後 | 〜 8 | ||
25 〜 220 | 後漢 | 墨堂や墨池があるなど現代の硯の原型となるものが出始める。 | |
265 〜 303 | 普 | 陶磁硯が多く、三足円台硯が主流となる | |
方形四足石硯が出始める | |||
304 〜 420 | 六朝 | 多獣脚円形磁硯の増加 | |
六朝(末期) | 北方系に箕形陶硯があり、少しずつ形を変えながら、 斧形硯、風字硯などへの発展 |
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618 〜 907 | 唐 | 陶磁硯が多く、三彩釉多足式円台硯・箕形陶硯・亀形陶硯が主流 | |
端渓硯の採掘開始 | |||
南唐 | 歙州硯の新たな良坑の発見とともに採掘再開 | ||
960 〜 1271 | 宋 | 端渓硯の採掘、生産量増加 | |
太史硯が出始める | |||
南唐時代に採掘され尽くした歙州硯は、
この頃新たな良坑が見つかり、採掘量が増加する |
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黄河の上流にて、採掘されていたという河緑石が、 洪水によって硯坑が失われて産出停止する |
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澄泥硯や陶硯の出土量も多い | |||
1271 〜 1368 | 元 | 唐硯の歴史として、特筆すべきことはない | |
1368 〜 1644 | 明 | 老坑の開坑が再開 | |
1644 〜 1912 | 清 | 質および量ともに老坑(端渓水巌)の全盛期 | |
老坑はさらに深く掘り進められ、 東洞・西洞・大西洞・水帰洞などで良材が多く産出される |
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松花江緑石の採掘開始 | |||
1913 〜 | 戦後 | 中国の古硯、端渓硯および歙州硯を主とする新作の諸硯の日本流入 |
起源
唐硯(中国の硯)の歴史は古く、最古の硯とされるのは西安の半坡遺跡(はんぱいせき)より出土した研墨道具である。古代の硯は、材料として銅、鉄、陶器、石など多種にわたり、形もまた様々であった。
漢
前漢は、平板で磨石を伴った硯を使用していた。しかし、後漢になると墨堂や墨池などを備えた現代の硯の原型となるものが出始めるようになった。
普
晋の時代は陶磁硯(陶硯)が多く、三足円台硯が主流となった。また、この時代には、方形四足石硯が出始めた。
六朝
六朝時代になると、多獣脚円形磁硯が増加した。末期に入ると、北方系の箕形陶硯が少しづつ形を変えながら、斧形硯・風字硯などへと発展していった。書聖と称される王羲之が用いた硯も風字硯であったといわれている。
唐
唐の時代に端渓硯の採掘が開始され、唐硯は一変する。それまでの用具としてだけの硯から美術工芸品の文化へと流れが変わる。この時代の硯は、陶磁硯(陶硯)が多く、三彩釉多足式円台硯・箕形陶硯・亀形陶硯が主流であった。
南唐
歙州硯の良坑が新しく発見され、採掘が再開された。南唐時代の歙州硯において、墨池をはじめとする現代の硯の形態が確立される。
宋
宋の時代は、唐硯の完成期といえる。この時代には唐の時代に採掘された端渓硯の採掘量および生産量が増加した。南唐時代に採掘され尽くしていた歙州硯は、宋の時代に新たに良坑が発見され、採掘量が増加した。また、黄河上流の洪水により、硯坑が失われたとう河緑石硯の生産が停止した。作硯技術においては飛躍的な進歩を遂げ、長方硯の原型である鳳字硯(風字硯ともいう)や太史硯が出始める。美術工芸品として、端渓硯を中心に百種にものぼる唐硯が各地で製作された。同時に、蘭亭硯をはじめとして芸術的、鑑賞的にあらゆる様式が生み出された。以来、元代、明代、清代へとその様式が継承されるとともに多様化していく。
元
唐硯の歴史として、特筆すべきことはない。
明、清
明の時代になると老坑の開坑が再開され、万暦時代に最大規模の採石が行われた。開坑は清朝に受け継がれ、東洞、西洞、大西洞、水帰洞などが開坑された。端渓水巌の美材を老坑より多量に産出したため、質量ともに端渓水巌の全盛期を迎えた。また、清朝の第四代皇帝である康熙帝(こうきてい)の時代に、満州の松花江上流にて、緑石が採掘されはじめ、御賜硯として用いられた。
戦後
古代の唐硯とともに新作の端渓硯、歙州硯を主とする諸硯が日本へ流入してきた。