硯式(硯制)とは
硯の硯式(硯制)とは、形式化された硯の形態・様式のことである。古来から続く作硯の継承のなかで、民族の思想および嗜好の影響を受け、多くの様式が生まれた。その様式のなかには彫刻があるものと無いもの、彫刻の図様と形態が一体となっているもの、両者が全く別個のものがある。宋の時代には、すでに数十種類の硯式が存在していたことが「端渓硯譜」や「歙州硯譜」よりわかる。さらに、明や清と時代が下るにしたがって、芸術意識の高まりとともに自由で独創的なものが生まれ、多種多様となっていった。いずれの時代において一貫しているのは、古典尊重の精神である。
自然硯(天然硯)
自然硯(天然硯)は、硯材が産出した際の岩塊や石肌などを活かしてつくられた硯のことである。必要な部分を磨くなど、まったく作硯しないということではない。また、石皮を黄ひょうという。
仔石硯
仔石硯は、水中で小石塊で採掘され、石の髄が水中で磨かれた硯材でつくられた硯のことである。小硯であることが多いが、優硯が多い。
板硯(硯板)
板硯(硯板)とは、硯面に墨池がなく硯面・硯背ともに平らにつくられている硯のことである。円形、長方形、正方形などのものがある。また、厚いものでは直方体の重量感に富んでいたり、硯面の周囲にわずかに縁辺が高くなっていたりする。
蘭亭硯
蘭亭硯とは、蘭亭雅会(王羲之(307〜365年)が蘭亭にて24人の文雅の士と催した曲水の宴)を表した蘭亭曲水図を硯の全面(硯面、周囲、裏面)に刻した硯のことである。蓬莱硯とならぶ宋の二大硯式である。楕円硯、長方硯があり、腰が高く、裏面は1〜2センチの周縁を残し、凹所をつくっている。形式は一様ではなく、凹所に蘭亭叙の刻しているもの、浮鵞を刻したものがある。硯面は楼閣曲水を表すもの、楼閣曲水がないものがある。また、蘭亭叙が側面に刻したもの、刻していないものがある。
蓬莱硯
蓬莱硯とは、古来から神の山とされてきた蓬莱山図を硯面および四周に刻した硯のことである。蘭亭硯とならぶ宋の二大硯式である。楕円形につくられたものが多い。硯面には海上に浮かぶ蓬莱五山と仙閣を刻されている。硯の側面には十六羅漢を、硯の裏面には海波中に龍が躍ったり、海波中に亀が書籍を背にする図などを刻している。その刀法は、毛彫り、薄肉彫り、高肉彫りの三者を駆使している。
箕形硯
箕形硯とは、農具の箕の形をし、沓(くつ)のように墨池が深くなっている硯である。硯の前方が円形で狭く手前が広く開いている。また、前方が低く手前が高いため、なだらかに傾斜して墨池と墨堂の差がはっきりしていないことが特徴である。唐の時代の出土硯に多く見られる硯式である。
風字硯
風字硯とは、几(ふうこう)の形、いわゆる風字形をした硯である。前方が平直で狭く手前が広く、その間わずかな反りがあり、手前も平直な形をしている。墨堂と墨池の境がはっきりしている。鳳字硯の俗称と考えられている。平底風字・有脚風字・垂裙風字・古様風字・琴足風字の五種類に細かく分類される。
斧様硯
斧様硯とは、斧をかたどった硯のことである。風字硯に似ているが、墨堂の手前に弧状の縁が作られている。また、斧紋を硯の一部に刻したものもある。
鐘様硯
鐘様硯とは、「つりがね」をかたどった硯のことである。鐘様硯には、二種類ある。一つは鐘の形(前方が弧形で手前がラッパ状に開く形に、釣鐘の釣輪部をくわえた形)に作硯し、裏面に鐘形を刻したもの。もう一つは、長方の中に鐘を図案化し、刻されたものである。斧様硯から変化したものと考えられている。
太史硯
太史硯とは、長方形で左右に高い脚があり、手前が空処となった硯のことである。太史とは「修史官」のことであり、宋の時代からの硯式である。高さは五センチ以上であり、硯の大きさが大きくなるほど高くなる。堂々しているため、愛硯家に喜ばれている。太史硯は、有脚風字硯の俗称であると考えられているが、呼称として響きが良く、広く定着している。
挿手硯
挿手硯とは、太史硯の高さが低くなった硯のことである。硯背の手前が空いており、手を挿し入れて持てるため、この名前となった。必ず左右に脚があり、高さが五センチ以下である。鳳池硯から変化したものと考えられている。
孕腹硯
孕腹硯とは、挿手硯のうち手前の凹所がふくらみ、手のくぼに当たるようになっている硯のことである。妊婦のお腹に似ていることから、この名前がついた。
淌池硯
淌池硯とは、長方硯の墨堂から墨池にかけてなだらかな傾斜があり、磨墨する際に、墨池から水を墨堂へ引き上げやすくなっている硯のことである。
門字硯
門字硯とは、長方硯の墨池部分が少し狭くなり、硯縁が厚く門の字の形をした硯のことである。
長方硯
長方硯とは、縦が長く横が短い長方形をした硯のことである。標準的な縦横比は三対二の比率であるが、その比率から変化したものが多い。
方硯
方硯とは、正方形をした硯のことである。縦横の比率に差のない硯も含まれる。
石渠硯
石渠硯とは、方形の墨堂の周囲に墨池となる渠溝(みぞ)をほどこした硯のことである。墨堂の四周には僅かに縁辺部がある。唐の時代に流行した硯式である。
井田硯
井田硯とは、いわゆる井田をかたどった硯のことである。井田とは、周の時代に一つの農耕地を「井」のかたちに九分し、中央の一区画を公田、残りの八区画を私田とする農耕制度「井田法」によるものである。井田硯には、二種類ある。一つは井田を墨池とみたてたもの、もう一つは硯全体を井田にかたどったものである。
円硯
円硯とは、円形をした硯のことである。円硯には、硯板となっているもの、墨堂が高くその周囲に墨池があるものなどがある。
環池硯
環池硯とは、円硯のうち墨堂の周囲に墨池がある硯のことである。
単打硯
単打硯とは、円硯のうち墨堂と墨池が同じ硯のことである。
楕円形
楕円硯とは、円硯のうち楕円形をした硯のことである。卵様硯や葫藘硯は楕円硯から変化したものと考えられている。
猿面硯
猿面硯とは、瓢箪形で大円の前方に小円を重ねた形をし、猿の頬の狭い顔のような形をした硯のことである。箕形硯から変化したものと考えられている。日本の平安期の陶硯に多くみられる。
六稜硯
六稜硯とは、六角形をした硯である。墨堂が円形であることが多い。
八稜硯
八稜硯とは、八角形をした硯である。中心に墨堂がつくられ、その周囲に墨池がつくられていることが多い。唐の時代に盛んに作硯された硯式である。
圭様硯
圭様硯とは、古玉の圭のように台形の上部に三角形を結合した形をした硯である。箕形硯から変化したものと考えられている。圭とは、天子(皇帝)が諸侯(臣下)を封ずる際に、符節として与えた玉製のものである。王・公・侯・伯により形がやや異なるが、おおむね上方が尖り、下方が四角形となっている。
姉妹硯
姉妹硯とは、一つの硯石を二つに分けて作硯された硯である。通常、上下に分けられており、彫琢も同一である。
対硯
対硯とは、一つの硯石を左右に対となるように分けて作硯された硯である。左を左硯、右を右硯という。対硯には、趣向や形態から二種類ある。一つは祝いの贈答品としてつくられ、長方相称にかたどられているものである。もう一つは、美術的な意図をもってつくられ、左右相称にかたどられたものである。端渓水巌の原石を二枚に割いてつくられた対硯は、左右の硯面に対称的な石紋がみられ変化に富んだ鑑賞効果が期待できるため、鑑賞的および美術的に高い評価が与えられている。
双硯・二面硯
双硯・二面硯とは、同じ形のものが二面くっついている硯である。
故事硯
故事硯とは、伝説や歴史上の故事を彫琢した硯のことである。蘭亭硯や蓬莱硯などの刻硯も故事硯の一つである。故事硯は分類上の仮称である。
洛書硯(河図洛書硯)
洛書硯(河図洛書硯)とは、伏羲のときに黄河より現れた竜馬と、禹のときに洛水より現れた神亀とを図案化したものがあしらわれている硯のことである。墨池に神亀を、硯背に竜馬を彫琢したものが多い。
龍門硯
龍門硯とは、龍首鯉身の図や河中に門を描いた図などを刻している硯のことである。黄河上流の龍門の激流を鯉が上れば龍となり、天上に登るという伝説による。
龍翔鳳舞硯
龍翔鳳舞硯とは、皇帝の象徴とされ、転じてめでたいことのシンボルである龍や鳳凰の図を刻した硯のことである。例えば角がない龍を螭(みずち)といい、これを刻した螭龍硯がある。また、龍が玉を争う様子を刻した螭龍争珠硯や龍が雲を巻き起こし、雨を降らすとした雲龍(龍雲)硯といったものもある。
羅漢硯
羅漢硯とは、十八羅漢や婆羅門僧などを刻した硯のことである。
動物硯
動物硯とは、動物の形を模した硯や動物の彫琢を有する硯のことである。
蝙蝠硯
蝙蝠硯とは、音通より幸福をもたらすものとして中国にて吉祥とされている蝙蝠(こうもり)をあしらった硯のことである。
鯉硯
鯉硯とは、出世魚とされていた鯉があしらわれている硯のことである。
植物硯
動物硯とは、動物の形を模した硯や動物の彫琢を有する硯のことである。
竹節硯
竹節硯とは、竹の節(ふし)をかたどった硯のことである。竹節を横から輪切りにしたものと縦から真二つに割いたものの二種類がある。宋や清の時代の端渓硯に多く見られる。宋の時代のものは迫真力があり、立体性に富んでいるのに対して、清の時代のものはやや簡略化され、立体性もあまり感じられない。
文様硯
文様硯とは、文様を硯縁や硯上部、さらに裏面にわたって刻している硯のことである。夔龍文や夔鳳紋などが代表的である。
現象硯
現象硯とは、硯相を日月などの自然現象と見立てて、材とした硯のことである。海天旭日硯、日月硯、五嶽図硯などが代表的である。例えば日月硯は、日食に入る状態を図案化したものであり、日を墨池、月を墨堂にみたてている。
雅名硯
雅名硯とは、硯の模様に対して、いろいろな見立をし、美しい名称をつけた硯のことである。先人のつけた名称が伝承されている場合が多い。例としては七星硯や羅漢入洞硯などが挙げられる。例えば七星硯は、七つの石眼(端渓石の場合)や七つの金星(歙州石の場合)がちょうど北斗七星をみるがごとく配列されている。